アイコン 【港区女性の悲しい末路 】20代を過ぎた、彼女たちの体験談

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【港区女性の悲しい末路 】20代を過ぎた、彼女たちの体験談

港区を拠点として活動し、キラキラした生活や華やかな外見で、”パパ活女子の元祖”とも称される「港区女子」に憧れを持つ女性も多いのではないでしょうか。

しかし、女性の若さや美貌は永遠に続くものではありません。若い時にパパ活などでオイシイ思いをした女性たちがその後、どのような末路を迎えるか。港区女子が行く末の一例をご紹介します。

港区女子という言葉が生まれた2014年ごろ、麻布で毎晩のように遊んでいた元・港区女子のAさん(当時25歳)。本業は受付嬢ですが、裏の顔は素人や女子大生が働く無許可の違法ラウンジに勤めていました。

ラウンジで知り合った50代の会社社長を相手にパパ活をしながら、月30万円の小遣いをもらい、さらに男性が所有する赤坂のマンションに住んでいたAさん。

パパとの関係は2年ほど続きましたが、彼が他の女性に目移りしたことでパパ活契約を切られてしまいます。しかも、その女性はA子さんよりも6歳年下の、20歳の女子大生でした。

これまで、贅沢三昧な暮らしで貯金もしていなかったAさんは、住んでいたマンションも追い出され、東京郊外の実家に戻りました。その後、実家の暮らしに慣れずふたたび港区に戻ってきたAさんですが、気がつけば34歳独身に......。

昔の優雅な生活が忘れられず、ハイスペ限定のマッチングアプリで婚活を始めてみるものの、20代女性の登録者が多いなかでマッチングするわけもありませんでした。今もAさんはお金持ちとの結婚を夢見ていますが、プライドが高い性格は変わらないので彼氏も長い間いないといいます。

年齢的に受付の仕事にも戻れないA子さんは現在、マッチングアプリで細々とパパ活をしながら、SNSで「キラキラ女子」の生活ぶりをアピールしています。

大手企業の事務で働いていた元・港区女子のBさん。Bさんが彼と出会ったのは9年前。六本木で開かれた、とあるクラブのイベントでした。貿易商の代表を務める5歳年上の彼に猛アタックされ、交際がスタートしました。

始めはラブラブだった2人ですが、交際3ヶ月目ごろからセックスレスに悩まされたBさん。彼との仲は良好だったのですが、Bさんは「なぜ、彼は抱いてくれないのか?」と不安な日々を送ります。

ほどなくして、その理由が発覚しました。なんと、彼は浮気をしていたのです。しかも、浮気相手はキャバ嬢、風俗嬢、パパ活女子と複数いたことから、夜遊びだけでなくパパ活までしていたことが判明しました。

普通の女性なら、その時点で別れると思います。しかしハイスペ男子との結婚を諦めきれなかったBさんは、なんと彼を許してしまったのです。

しかし、Bさんの地獄はそこから始まりました。子どもを作って授かり婚を狙おうとするも、セックスレスは継続中。しかも、遊び人の彼はBさんにだけ勃たない”彼女だけED”になっていたのです。

その後も何度も彼に浮気やパパ活を繰り返され、それでも彼の持つ財力を手放したくなかったBさん。そして先日、彼の女遊びがようやく落ち着き、結婚することになったのですが、ハッピーエンドではありませんでした。

子どもを作ろうと決心したものの、Bさんはすでに37歳、彼は45歳。彼は薬なしではセックスができず子作りが難航しているというのです。

他にも彼の両親は高齢で介護の話も出始めて、問題は山積みに......。「若いうちに結婚しておけば、こんな苦労はしなくて済んだかもしれない」とBさんは落ち込みます。

20代のときから出会いは多かったというBさんですが、どれも彼女の理想に叶うハイスペではなかったそう。条件のいい結婚相手だけを追い求めた結果、その後の人生がうまく行かない......。

これも、港区女子の末路かもしれませんね。
若さと美貌でハイスペ男子にチヤホヤされる港区女子ですが、永遠に続くわけではありません。港区女子の賞味期限は短く、華やかな生活が忘れられず気がつけば”痛いオバサン”になってしまうケースもあります。

見た目の美しさだけでなく、内面やスキルアップを狙わないと一生、港区にすがりついて生きていく......なんてことにも。年齢の若さを取り柄にせず、内面を磨いて次の人生のステップに進んでいきましょう。
結城
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