
ゲイの友達ができて学んだ、多様性を理解する本当の意味
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PR会話の合う・合わないはジェンダー関係なし?
さらに、オネエたちの会話の中心はほぼ下ネタ。先日、ヤッたという可愛い男の子の動画を見せては盛り上がり、他のオネエ達もその動画に釘付け。……いくら若くてかわいい男の子でも、他人の局部なんて見たくないし……。
しかも、その流れで私の性癖まで聞いてくるのは如何なものなのか。ゲイだからという理由で許されるのかもしれないけれど、普通に考えたらほぼセクハラである。
というか、大声で下ネタを話す集団が私はそもそも苦手なのだと思う。これは性的指向とは関係なく、その人のキャラによるものだとは思うけれど……。
ちなみに過去、レズビアンの人と話したときも似たような経験があった。
私自身、ビアンの子は見た目はフェム系のほうがタイプなのだが、実際に話してみるとふわふわした世界観についていけず、「猫さんと遊んでて〜みんな幸せになあれ♪」みたいなノリに完全に置いていかれた。
その一方でボーイッシュなビアンはハキハキしていて話しやすかった。会話の内容はどうであれ、テンションやノリに今回も面食らってしまったのだ
”多様性を理解する”本当の意味とは?
結局のところ、私は見た目がどんなにタイプでも、中身がサバサバしていたり落ち着いたタイプの人のほうが合うんだと思う。
偏見がどうこうではなく、テンションや会話のスタイルが合うかどうかで人との相性は決まる。でも、今回のゲイとの出会いが嫌だったのかというとそういうわけではない。むしろ、楽しかったし、機会があればもちろんまた遊びたいし。
そして、今回のことで気づいたのは、世の中で叫ばれている“多様性”はジェンダーや人種といった表面的なラベルに偏りがちなのでは?ということだ。
でも今回のことで本当の多様性って、そういう外側だけを見て判断するのではなく、相手の中身をしっかり見て尊重することなのではないかと感じた。
もちろん、性格や価値観が合わない人もいるし、合わないこと自体は仕方ない。大切なのは、「合わないから」とラベルだけで避けるのではなく、相手の中身を理解しようとする姿勢を持つことだと改めて思った。
私自身、「これまでにもゲイの友達がいたし、今回もきっと同じように仲良くなれる」と、どこかで勝手に思い込んでいたところがあった。
でもそれって、“ゲイ”というラベルだけでひとまとめにして見ていただけで、当然ながら一人ひとり中身もキャラクターもまったく違うのだ。
だからこそ、本当の意味で多様性を理解するなら、まず自分がもっている偏見や先入観に気づき、それを見直すところから始めるべきなんだと思った。




















