アイコン 義務的な性生活は自分を傷つける 苦しいセックスにしないためのパートナーとの向き合い方

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義務的な性生活は自分を傷つける 苦しいセックスにしないためのパートナーとの向き合い方

「こんな気持ちになるなら、しないほうがよかった……」と胸を痛めずにいられなくなるセックス。私は、これを「心が苦しくなるセックス」と呼んでいます。

心が苦しくなるセックスを一言で表すなら「自分で選ばなかったセックス」ではないでしょうか。するタイミングや相手を、自分の意思で決めていないセックスは、後々の後悔につながりやすいような気がするのです。

今回は、そんな「心が苦しくなるセックスをしないためにできること」を考えてみました。
「自分が望んでいないセックスに応じた」という、まるで義務のようなセックス……これはアダルトビデオのファンタジーな世界ではよくある話です。そういうシチュエーションに燃えるという人もいることでしょう。しかし現実世界でその当事者になってしまった時、私はものすごく辛かったです。

あくまでも設定として、そういうシチュエーションを楽しむことはあります。けれど「相手がしたがるから」「断ったら雰囲気が悪くなるから」と、自分の気持ちが不在のままにするセックスって、本気で気持ちよくなるのが難しいのです。

何度も体位を変えているうちに、だんだん相手に搾取されているような気分になって、時には敵意さえ抱いてしまうこともあります。

となると、気持ちいいセックスをするためには「私がしたいからする」という主体性を持つことがカギになるのではないでしょうか。

挿入ができない生理中に、相手の性欲をなだめるため仕方なくフェラチオしてあげる……という話も、珍しくありません。お互いが納得しているなら何も問題はないのですが、「相手に従う形でのセックス」で心にダメージを負うのであれば、やはり避けたいものです。
セックスは時に、承認欲求や愛されたい欲を満たしてくれます。それらの欲求とうまく付き合って、健やかな日々を送れるのなら、それほど素敵なことはありません。

ただ「承認や愛情確認の手段がセックスだけ」という状態は、あまり健康的ではないように思うのです。セックスは、自分ひとりの都合ではできないこと。するためには必ず、相手と都合を合わせなくてはいけません。そのため「したい時にできない」ということも、当然ながら起こります。

そんな時に「承認や愛情確認の手段がセックスしかない」という状態であれば、健康的なメンタルを保つことさえ難しくなってしまいます。セックスを「ただひとつの拠り所」にしないためには、セックス以外の承認手段を持っておくのが大切です。

その方法としてまずあげられるのは、パートナーとのセックスと切り離されたテリトリーを持つこと。仕事でも趣味でも遊びでも、何でもいいのです。どんなに深い付き合いをしているパートナーでも、お互いを120%理解し、価値観を完全に合致させることはできません。

自分が抱えている孤独を認めてあげて、日々の生活を充実させてこそ、よりセックスを楽しめるのではないかと思うのです。
セックスは、価値観が違う他人同士でする共同作業。なので、「もうちょっと、こうしてくれたらいいのに」「今、別にしたくないのに」ということもあります。

一度や二度、ちょっとしたものなら許容できても、何度も同じことで不満を感じ続けると、それはやがて無視できないほどのストレスになります。そういう時、相手に何も伝えず被害者顔をしているだけに留まっても、状況は好転しません。

つまり「相手への不満は伝えたほうがいい」ということを言いたいのですが、その一方でセックスにまつわる話は、そのほとんどがデリケート。かく言う私も、若い頃から今の今まで、そういう話がなかなか上手にできないタイプです。不満を伝えることで相手に嫌われてしまうのではないか、雰囲気が悪くなってしまうのではないか……そう思うと、やはり怖いのです。

ただ、「もう我慢できないくらい苦しい」「このままだと状況は悪くなるばかりだ」と改めて自覚することで、伝える勇気を得られたような気がします。ほんの少し、ですが。

不満を伝えることで、それまでうまくいっていた関係が崩れてしまうこともあるかもしれない。そこはお互いの信頼がモノを言うので、パートナーのことを信じるしかないのかな……というところです。

恋人でもセフレでも、もとを辿れば人間同士。まずは会話することで理解を深め、信頼関係を築く努力なら、今からでも始められるはず。
「したいセックスは自分で選ぶ」「セックスに依存しない」「不満はなるべく伝える」……心が苦しくなるセックスをしないためにできることとして、これらのことが大事なのではないかな、という結論に至りました。

したくない時に「今日はごめんね」と断るのは、決してわがままではありません。性欲に罪悪感を感じる必要はありませんし、「なんだかムラムラする……」と思う自分を責めることもありません。

まずは「私は性欲と、意思や思惑を持つひとりの大人なのだ!」と認めることが、性生活をさらに謳歌するための一歩目なのではないかしら? そんなふうに感じている、今日このごろです。(カサイユウ/ライター)

(オトナのハウコレ編集部)

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